過激派イスラム教徒

麻紙、岩絵具、銀箔、銀泥

W 730mm x H 1,170mm

この絵のテーマになっているのはデジタルの非連続性です。それを一つずつ歪んだ四角いドットとして、モザイク画を描きました。 例えばデジタル時計を想像て下さい。分刻みにしか表示されない時刻は8:46から8:47に一気に進みます。しかしアナログな現実ではその一分間にも数えきれない一瞬の積み重なりが存在しています。至る所で膨大な個々の物語が進んでいます。つまりデジタルとは物事の変化をかいつまんで表すモノと言えます。 そしてこの絵の題名は過激派イスラム教徒。そう聞いて連想するのはIS(イスラム国)を始めとした武装集団。テロの影響もあって名前だけが一人歩きし、ヨーロッパではイスラム教そのものの排斥へと繋がる動きがあります。悲しい連鎖だと思いました。そもそも過激派テロ集団が派生する背景には、文化的、経済的優位を自称する西洋諸国による勝手な線引きや介入があったにも関わらず。とかくデジタルではそういった過去は省略されがちです。 このようにニュースなどの情報はネット上で、デジタルを媒体とした非連続的な一側面だけが横行します。過去を知らなければ、それが全てであるかのように感じます。さらに報道されない事実も多く存在しているのに。報道される情報には発信者の意図が介在し、拡散される過程でも受け手の意向が内包され、歪みを含みます。その整然とした歪みから、我々は世界中の彼らの、いったい何を知っているつもりなのでしょうか。 あるメディアの情報だけを鵜呑みにすると同時多発的に歪みが発生します。それは大きなうねりとなって、名前を伏せた卑怯で過激な思想や言論が主にネット上で波及していきます。しかし中国や韓国への嫌悪も、その国の友人ができれば一気に吹き飛びます。国名を聞いて、その国籍をもつ人と話した事がないのなら、その国へのイメージは全て偏見ではないでしょうか。偏見は無知からではなく、偏った中途半端な知識から生まれます。犯罪者も善人も、どの国にもいます。 イスラム教徒の女性が身につける伝統衣装のヒジャーブとニカーブは、目以外を黒い布で覆い、他の男性の欲望の矛先をそらす為に女性を覆い隠す歪んだ伝統のように我々の目には映ります。女性に対する迫害ではないか、と。しかし、女性を見た目で判断するような西洋的価値観に対する否定の意思表示として、自ら進んでヒジャーブとニカーブを着用するイスラム教徒も存在します。 我々はいったい、彼らの何を知っているつもりなのでしょうか。 ただ、ヒジャーブとニカーブを着て、モスクの前で、スケートボードによる自己表現をする彼女は、ある意味、過激派でしょう。 その衣装による匿名性も今回の題材にはシックリくると思いました。

2015